わが闘争 ~それでもズル熊はズルい~
こんにちは、加藤名人万歳であります。私がズル理論を提唱して、はや10年になりますが、未だズル勢力は巨大であります。しかしながら真実は必ず勝利するのです。ともに手を携えズルと闘おうではありませんか!
プロフィール

katoban

Author:katoban
職業:職業的革命家
所在:ボリビア
座右の銘:祖国か、死か!



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「推定無罪」の原則を貫徹すべきだ
 「死刑求刑の事件が裁判員裁判で無罪になった」として新聞で大きく報道されております。刑事裁判の有罪率は99.9%であり、被告人が否認している場合であっても実に97%が有罪になっているのが現状であります。そのような中で、裁判員が「疑わしきは罰せず」の原則に基づき、無罪判決を出したことは、裁判員制度導入の意義をまさに天下に示したものであり、わたくしは裁判員の皆さんのご労苦をねぎらうとともに、心より敬意を表するものであります。

 では、裁判員裁判における有罪・無罪の判決はどのようにして出されるのでありましょうか。マスコミ報道を以下に引用いたします。

裁判員裁判では、裁判官3人と裁判員6人が、評議を尽くして、有罪か無罪かを決める。全員一致にならない場合には、同じ“一票”を持つ裁判員と裁判官の多数決で結論を出す。ただ、評議の中身については守秘義務があるため、今回、無罪に至った経緯は明かされない。
原則として、過半数となる5人以上の意見が結論になるため、鹿児島地裁の無罪判決でも5人以上が無罪と判断した可能性がある。
しかし、単純に過半数の原則を適用できない例外もある。評決の際には、裁判員だけで被告に対して不利な判断(有罪の判断)をすることはできないと規定されているからだ。
被告を有罪とするには、有罪と判断した5人以上の中に、少なくとも裁判官が1人以上は含まれていることが条件となる。
 仮に、裁判員5人が有罪の意見でも、裁判官3人と裁判員1人が無罪と判断した場合、評決は無罪に。
 また、裁判員6人が全員有罪の意見だったとしても、裁判官3人が無罪の意見なら被告は無罪。逆に、裁判員6人が無罪と判断すれば、裁判官3人が全員有罪の意見でも無罪となる。

 引用が長くなり恐縮でありますが、要するに「多数決」で決めているということであります。わたくしは、「有罪か無罪か」場合によっては「死刑か無罪か」という究極の選択を多数決で決めるという制度には違和感があり、見直した方がよいと考えております。わたくしは常々、「多数意見が正しいとは限らない。むしろ多くの場合誤っている」と申し上げているところでありますが、人の命がかかっている問題を多数決で決めるのは不適切であろうと思うのであります。また、「疑わしきは罰せず」との刑事裁判の原則からしても不適切であろうと思うのであります。一人でも「無罪」と考えるのであれば、「疑わしさ」が残るものとしてすべて無罪とすべきでありましょう。特に死刑判決に関わる問題であればなおさらそうすべきであります。このようにしてはじめて、「推定無罪」の原則が真に貫徹されるのであります。

 このように申しますと、「犯罪人に肩入れをするのか」という非難の声が聞こえてまいります。しかし我々は、近代ズル革命によって、封建的な、たんなる応報としての刑罰とは決別したはずであります。「やられたらやり返す」の精神は憎しみの連鎖を生み、社会はいつまでたっても平和になり得ません。「罪を憎んで人を憎まず」の精神で、社会改革によって犯罪を抑制することにこそ力が注がれねばならぬのであります。しかも制度を作るのは人間であり、これを運用するのも人間であります。人間は必ず誤りを犯します。誤った判断により、無実の人間を死に追いやってしまったとしたら・・・。考えるだけで背筋が凍り付きます。ゆえに刑罰は抑制的であらねばならないとされてきたのであります。ところが近年、重罰化の傾向が強まっております。社会が荒廃し、他人を憎む心が強くなっているように感じるところであります。こうした動きは、近代以降の刑事法の精神に逆行するものであり、わたくしは重大な懸念を持っております。

 かような意味において、死刑制度は近代刑事法における最後の野蛮であります。ゆえに、死刑制度は廃止されねばなりません。しかしながら、死刑制度の是非については様々な意見のあるところでありますから、国民的議論が尽くされねばなりません。その過程において、あたたかな社会が作り上げられるとよいと思います。とはいえ、今はそれも無理でありましょう。マスコミがまともな報道をするはずがありません。国会でまともな議論が行われるはずがありません。ゆえにこそ、「推定無罪」の原則を厳格に貫徹させるべきなのであります。

 我らが偉大なる指導者=加藤一二三棋聖万歳!!!
 革命未だならず。同志奮起せよ!!!
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zuruguma.blog81.fc2.com/tb.php/204-3bc6f801
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。